【IRONMAN 掲載記事】 勝率3割強! 「歴戦の勇者」 ビンス・テイラー

【IRONMAN 掲載記事】 勝率3割強! 「歴戦の勇者」 ビンス・テイラー

1988年のNPCナショナルズで、ライトヘビー級、そして総合優勝をつかみ、翌年から20年間プロサーキットで戦うこと72戦、そのうち24回もの優勝を納め、なんと勝率3割3分3厘を誇る驚異の男が、今回ご紹介するビンス・テイラーであります!

さっそく写真を見てみましょう。これは、1991年に彼の住むフロリダへ取材に出かけてクリックしたものです。1956年、昭和31年生まれのビンスがプロカードを手にしたのは32歳のとき。ティーンエイジャーでプロになる人もいるアメリカン・ボディビルダーとしては「遅咲きだった」といえるかもしれません。

この写真のとき、ビンスは35歳、この年は実に10のプロコンテストに参戦し、オリンピアでも2年連続の3位入賞、それに続くヨーロッパツアーでは6大会中5つの大会で優勝しています。売り出し中の一番威勢のいい時期だったといえます。肩や胸、広背筋と、至る所にストレッチマークがすごいですね。

ビンス・テイラーといえば、日本でもかなり人気があったでしょうし、憧れの存在として見ていた人も多いのではないでしょうか。
'92年には「春のオリンピア」ともいわれるアーノルドクラシックで優勝しました。大腿部の深いセパレーションや、皮一枚の仕上がりを感じ取ってもらえると幸いです。反射して光る外腹斜筋や「捻ねじり棒」のような三角筋から大胸筋にかけてのストリエーション、そして宙に上げた右腕の二頭筋は、伸展しているにも関わらず、その太さは水を大量に含んだ風船のようです。

ビンス・テイラーというと、そのステージプレゼンテーションにも定評がありました。アマチュア時代にはルーサー・バンドロスの「IfThisWorldWereMine」などのスロー・バラードに乗せて「曲に同調して歌い上げるがごとく踊り、そして舞うスタイル」のポージングでした。ボディビルディングをまさに「筋肉の彫刻」として芸術性高く表現するもので、ショーン・レイなどもこのタイプでしたね。

それがプロに転向してからは「観客を魅了すると同時に、いかに楽しんでもらうか」ということにも注力し、2部構成に変更しました。第1部である導入部ではバラードを踏襲してじっくりと魅せるポージングです。そして、第2部では曲調がガラリと変わりアップテンポなビートの効いたもので、あるときはロボットダンスなどで盛り上げました。

特に1993年にビルボード・ヒットチャートで全米1位に輝き、その曲と一緒に大流行し社会現象にもなった「マカレナ・ダンス」を取り入れたときには「観客が一緒に踊り出す」という、ボクが今まで見たこともないようなことが起こりました! ビンスは正真正銘の「エンターテイナー」でしたね。

彼には、ランディという明るい奥様がいます。そして、二人の息子と一人の娘さんがいます。ボクが初めて彼を訪ねた'91年には、まだ子供は一人で、車もファミリーカーにはほど遠い白いフェアレディZに乗っていました。

「フェアレディZ」は1969年に〝ミスター・K〟の異名を持つ初代米国日産社長である片山豊氏によってプロデュースされました。日本人であるボクにとっては、プロになって稼げるようになるとドイツ車を始めとするヨーロッパ車を走らせる人が多い中、日本製の車に乗っていたことでビンスに対してとても親近感を感じたことを覚えています。

数多くの大会に出場、優勝し、観客を沸かせ、大いに盛り上げてくれたビンスですが、2008年を最後にコンテストには出場していないようです。

ぜひビンスにも「生涯ボディビルディング」を貫いて、いつか何処かであの勇姿を再び見せていただきたいと願う次第です。

<IRONMAN 2015年7月号掲載 「Click-Click 」記事より>


【岡部 みつる(オカベ ミツル)】
東京都出身。昭和の終焉に渡米。'93年、米マスキュラーデベロップメント誌のチーフフォトグラファーに。以後、アイアンマン、マッスルマグ、フレックス等各誌に写真を提供。'96年にはMOCVIDEOを設立、コールマン、カトラー等オリンピア級選手のビデオ、約50本を制作。

※ Click・Click/クリック・クリック クリックの元の意はカチッていう音、シャッターを切る時の音。カシャ!「 おい!そこのカメラ小僧!」的な意味合い。